コンプレックス―PART2―
2003年2月6日コンプレックスと言うより、自意識過剰?被害妄想?
人間、すごい大病をたま〜にする人と、命に関わるような病気ではないけれど小さな病気をいつもなにかしら患っているひとの二通りに分けられるようなきがする。
まさに私の両親がそれだ。
わたしは後者だ。
小学校2年生の時に単身事故を自転車で起こし、後頭部を5針も縫う大怪我をした。同じ程度の衝撃を同じ場所に受けると命の保証はできませんとまで言われた。
小学校6年生の時にその後遺症のてんかんを発症。
今でこそ妙な偏見など薄れてきたが、年配の人には子供心にもイヤな視線を送られた。
てんかんはほんとに辛かった。
いきなり意識が昏倒し、その間白目剥いて泡吹いてるらしい。その記憶はないのに他人にはしっかり見られている。目が覚めたときもまたこの世のモノとは思えない気持ち悪さ。戻しまくる。
しかもこの病気には「完治」したという明確な基準がない。薬飲み続けて7年。
やりたいこともかなり制限された。
水泳、お風呂(水中で発作を起こしたら溺死確実)、マラソン、吹奏楽(脳内の酸素が著しく欠乏し、結果発作を誘発するので)などなど。
泳ぐのがすごく好きだったし、風呂もひとりで落ち着いて入りたかった。マラソンは…まぁいい。吹奏楽もぜひやりたかった。
運動という運動は全て禁止されていたせいで暴力体育教師には3年間嫌味を言われつづけた。
後頭部の傷のため髪の毛をひとつくくりにしていれば(高校はふたつくくりが校則だった!!)周りの女性徒から嫌味を言われる。
ある日キレて、傷なんかお構いなしにふたつくくりで登校した。
毎月ある血液検査も苦痛。私の血管は細く埋まっているらしくはっきり確認できない。へたな看護婦に「あら〜間違えちゃった!ごめんなさいね」
と言われ、死ぬほど腕が痛い。
毎月あるMRIも、「ハイ、3分間まばたきしないでくださいね〜」と軽く言われる。人間そんなことできる訳が無い。毎月ある脳波も苦痛。
そんな日々を7年続けた。
しかし私は自分の辛さを他人に理解してほしいとはあまり思わなかった。
当時の先生、友人にはすごくお世話になった。
両親も私より不安だっただろう。
でも、どうしても話す気にはなれなかった。
「こいつ病気を理由にして楽しやがって」
と今までほとんどの人に思われてきたからだ。
いまも甲状腺亢進症を患っている。幸い私は手術まではしなくて済んだが、心拍170もあるので息苦しく深呼吸すると
「こいつ何ため息ついとんねうっとうしいわ」
と言われる。その時はまだ自分が病気だと知らなかったので、息苦しいと言い訳しても
「何ゆうとんねん、そんな病気あるわけないやろ」
と言われる。
薬の副作用で体中に発疹ができ、体重も10kg太った(今は戻った)何よりこの病気は精神面にも大きく影響が出る。すぐにストレスがたまりイラつき、怒りやすくなる。結果人間関係に亀裂が入る。そして病気が進行する。悪循環極まりない。
わたしのこのレベルの病気でも、あれほどイヤな思いをしてきた。若干ながら被害者意識もあっただろう。しかしヘタしたら風邪の方が断然理解を得られる。もっと深刻で難しい病気を抱えている人は大勢いる。そんな方たちの気持ちがほんのちょっとだけ分かる分、私が味わった同じ辛さは、他の人には味わって欲しくないと思う。
この世の中、目に見える見えない関わらず、深刻な病気が多く存在する。
自分にとって大切なひとがもしそうなったら、どんなことをしても、嫌われてもいい、イヤなことも言ってやる。それで前向きになれるのなら。
でも、そうじゃない人には、ヘタな同情など絶対にしない。思っても絶対口には出さない。私は嫌だったからだ。
自分がされて嫌なことは、人にはしたくない。
結構単純なことだと思うのだが。
人間、すごい大病をたま〜にする人と、命に関わるような病気ではないけれど小さな病気をいつもなにかしら患っているひとの二通りに分けられるようなきがする。
まさに私の両親がそれだ。
わたしは後者だ。
小学校2年生の時に単身事故を自転車で起こし、後頭部を5針も縫う大怪我をした。同じ程度の衝撃を同じ場所に受けると命の保証はできませんとまで言われた。
小学校6年生の時にその後遺症のてんかんを発症。
今でこそ妙な偏見など薄れてきたが、年配の人には子供心にもイヤな視線を送られた。
てんかんはほんとに辛かった。
いきなり意識が昏倒し、その間白目剥いて泡吹いてるらしい。その記憶はないのに他人にはしっかり見られている。目が覚めたときもまたこの世のモノとは思えない気持ち悪さ。戻しまくる。
しかもこの病気には「完治」したという明確な基準がない。薬飲み続けて7年。
やりたいこともかなり制限された。
水泳、お風呂(水中で発作を起こしたら溺死確実)、マラソン、吹奏楽(脳内の酸素が著しく欠乏し、結果発作を誘発するので)などなど。
泳ぐのがすごく好きだったし、風呂もひとりで落ち着いて入りたかった。マラソンは…まぁいい。吹奏楽もぜひやりたかった。
運動という運動は全て禁止されていたせいで暴力体育教師には3年間嫌味を言われつづけた。
後頭部の傷のため髪の毛をひとつくくりにしていれば(高校はふたつくくりが校則だった!!)周りの女性徒から嫌味を言われる。
ある日キレて、傷なんかお構いなしにふたつくくりで登校した。
毎月ある血液検査も苦痛。私の血管は細く埋まっているらしくはっきり確認できない。へたな看護婦に「あら〜間違えちゃった!ごめんなさいね」
と言われ、死ぬほど腕が痛い。
毎月あるMRIも、「ハイ、3分間まばたきしないでくださいね〜」と軽く言われる。人間そんなことできる訳が無い。毎月ある脳波も苦痛。
そんな日々を7年続けた。
しかし私は自分の辛さを他人に理解してほしいとはあまり思わなかった。
当時の先生、友人にはすごくお世話になった。
両親も私より不安だっただろう。
でも、どうしても話す気にはなれなかった。
「こいつ病気を理由にして楽しやがって」
と今までほとんどの人に思われてきたからだ。
いまも甲状腺亢進症を患っている。幸い私は手術まではしなくて済んだが、心拍170もあるので息苦しく深呼吸すると
「こいつ何ため息ついとんねうっとうしいわ」
と言われる。その時はまだ自分が病気だと知らなかったので、息苦しいと言い訳しても
「何ゆうとんねん、そんな病気あるわけないやろ」
と言われる。
薬の副作用で体中に発疹ができ、体重も10kg太った(今は戻った)何よりこの病気は精神面にも大きく影響が出る。すぐにストレスがたまりイラつき、怒りやすくなる。結果人間関係に亀裂が入る。そして病気が進行する。悪循環極まりない。
わたしのこのレベルの病気でも、あれほどイヤな思いをしてきた。若干ながら被害者意識もあっただろう。しかしヘタしたら風邪の方が断然理解を得られる。もっと深刻で難しい病気を抱えている人は大勢いる。そんな方たちの気持ちがほんのちょっとだけ分かる分、私が味わった同じ辛さは、他の人には味わって欲しくないと思う。
この世の中、目に見える見えない関わらず、深刻な病気が多く存在する。
自分にとって大切なひとがもしそうなったら、どんなことをしても、嫌われてもいい、イヤなことも言ってやる。それで前向きになれるのなら。
でも、そうじゃない人には、ヘタな同情など絶対にしない。思っても絶対口には出さない。私は嫌だったからだ。
自分がされて嫌なことは、人にはしたくない。
結構単純なことだと思うのだが。
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